大学一年の夏から、大学三年の夏頃にかけて
人生最大の壮絶な片想いをしました。
その片想いの相手の誕生日が今日なのです。
十二月一日は、今でも私にとって、その想い出
深い日です。
話は変わって...
幼子の頃から小学校の頃まで、私は無類の鉄
道ファンでした。流石に今は鉄ヲタとは言えま
せんが、今でも旅行などに行く時は、飛行機よ
り鉄道派です。幼い頃の鉄ヲタ魂が、ひょっこり
頭をもたげたのは、大学生の時。鉄道の時刻表
を見ていて、面白い事を思いつきました。JR(当時
は国鉄)の駅名には、なかなか面白い物が有りま
した。その中で、いくつかの駅名を合わせると、
一つの物語になりそうな物も数多く有りました。
例えば、九州に有る久大本線「夜明」と、北海道に
有る「日出駅」。他にも、対になるような二つの駅名。
例えば、中央本線の「上松」と、山陽本線の「下松」
中央本線の「大月」と、山陽本線の「小月」というよ
うに。こうした駅の入場券を集めてみたいものだと
思い立ったのです。更に、大学二年の時には、各駅
停車に乗って、九州まで行ってみたいという、とんで
もないバカな事まで思いつきました。九州まで行くな
ら、「大月」「小月」の入場券、「上松」「下松」の入場券
も、是非手に入れたい......思い立ったらやってしまうの
が、私の恐ろしい所。決行しました。この旅行は、今で
もとても想い出に残っているものです。最近になって、
この旅行に持っていった手帳が出て来ました。そこに
記された記録を見ると、東京駅を九時三十九分の、
各駅停車沼津行きに乗って出発しました。三島駅で
降り、浜松行きに乗り換えました。三島まで立ちっぱな
しだったので、今度は座りたいと思い、グリーン車に
乗った所、グリーン車の乗客は、終点浜松まで私一人
だけ。グリーン車の乗務員さんも、お客が一人だけで
はヒマだったのでしょうか。景色を眺めたり、乗務員と
世間話をしたり、なかなか退屈しなかった様です。浜
松からは、大垣行きに乗り換えました。今ではなかなか
考え難いのですが、次の電車まで45分も待ち時間が
有った様です。大垣に到着する頃には、もう辺りは夕闇
に包まれていました。今なら、乗り継ぎが良いので、日
が沈む頃には大阪まで行けますが、まだ当時は乗り継
ぎの便が悪かったのですね。大垣から播州赤穂行きに
乗り継ぎ、京都に到着したのは、夜も八時を回っていま
した。普通なら、ここからも引き続き東海道線に乗るの
ですが、私が取った経路は、山陰本線経由。今はもう
運行されていませんが、当時は、寝台車を連結した普
通列車が有りました。「山陰号」という夜行の普通列車
の寝台券を買い求め、午後十時に京都駅を出発しまし
た。山陰号は夜通し走り続け、終点の「出雲市」駅に到
着します。この車内は、今ではもう絶対に味わう事の出
来ない、独特の旅愁が有りました。狭い三段式のベッド。
薄暗い、煤けたような車内の照明。木造の客車。客車の
端に設けられた狭い洗面台。そのどれもこれもが、今の
鉄道ファンには憧れの物かもしれません。出雲市から、
再び昼間の各駅停車に乗り換え、島根県の浜田駅に着
いたのは昼過ぎでした。ここから今度は、三駅程逆戻り
をしました。各駅停車さえ殆ど止まらない、小さな駅に
降り立つ為です。その小さな無人駅の名前が「久代駅」。
北海道の釧路と読み方が同じ、「くしろ」駅です。取り立
てて観光地が有るわけでもない山間の小さな駅に、何
故降り立とうと思ったか、ここで話はこの記事のトップに
戻りますが、私が経験した壮絶な片思いの相手の名前
が、久代さんという人だったのです(あ〜言っちゃった)。
当時この駅は、停車する列車の本数が、一日に僅か五
本程度の、まさに秘境という感じの駅で下。この駅で、
一生忘れられない経験をしました。特に見る所も無い寂
しい町でしたが、次の列車まで三時間近くも有るため、
その辺をブラブラしていた所、畑仕事をしている老夫婦
の姿が目にとまりました。この駅で降りて、初めて目にす
る住人の姿でした。とくに話しかける理由があったわけ
でも無いのですが、憧れの人と同じ名前の町の住人と、
言葉を交わしてみたいので、ちょっとばかり話しかけて
みたのです。もう二十年以上も前の事、どんな話をした
のかは覚えていませんが、一つだけ、その老夫婦の息子
さんが、東京で暮らしているという話をお聞きしました。
同じ東京から遥々この街を訪ねた私に、親近感を抱いて
くれたものか、あぜ道の真ん中でお茶を御馳走になった
ことが、この旅行の最大の想い出と言っても良いかもし
れません。夕方の列車で浜田駅に戻り、ここで一泊しま
した。三日目、当時はまだローカル線の趣きいっぱいの
山陰本線を、ひたすら各駅停車に揺られ、終点の下関
に着く頃には、すでに日が暮れていました。新幹線に乗
れば、東京から下関まで、今なら五時間程ですが、三日
間各駅停車に揺られ、車内放送の
「大変長らくのご乗車お疲れ様でした。間もなく終点、
下関です。」
を聞いた時には、大袈裟ではなく、本当に、胸が熱くな
りました。ウソだと思ったら、是非やってみて下さい(絶対
やる人いないと思うが...)
再び話の最初に戻りますが、この下関は、前出の久代さ
んが住んでいる町でもありました。ちょうど冬休み中だっ
たので「会えないかな〜」とも思いましたが、ウブだった
私は、電話をする事も出来ず、「小月」駅の入場券を買
い求め、帰路につきました。往路は全て各駅停車。帰路
は、思い切ってブルートレインに初乗車しました。山陰号
とは違い、寝台は個室。個室の中には洗面台やコンセン
トも完備され、豪華なものでしたが、もし、もう一度乗れ
るなら、やはり私は、ブルートレインよりも山陰号に乗り
たいと思っています。寝台特急「富士号」に乗り込み、下
関駅を後にするとき、何故なんでしょう、目頭が熱くなっ
たのを今でも覚えています。去年数回、大阪に行きまし
た。いずれも日帰りだったのですが、不思議なもので、
大阪を後にする時も、この時と似たものを感じました。
さすがに目頭までは熱くなりませんでしたが...
柳井駅に停車した後、ブルートレインならではの
「おやすみ放送」が有りました。だいたい、こんな感じ
でした。
「只今、午後十時を回りました。そろそろお客様の
お休みの時間ですので、本日の車内放送は、これ
をもちまして一旦終了とさせて頂きます。明朝は、
◎◎駅到着のご案内から放送を再開致します。
車内照明も明るさを落とさせて頂きます。寝台内
で、ラジオ等をお聞きになる場合は、音量を控え
めでお願い致します。では明朝まで、どうぞごゆっ
くりお休み下さい.....云々。」
これ以降、広島到着の際にも、岡山到着の際にも、
車内放送は一切有りません。ブルートレインに乗っ
た時にしか味わえない、これも旅情の一つです。
さて、そろそろ話を終わらせる事にしましょうか。
皆さんは、素敵な恋をどのくらい経験されていますか?
そして今、そのお相手はどうして居られるでしょう。
この私の恋は片想いのまま終わりましたが、片想いで
さえ、一生美しい想い出として残りうるものです。
ということで、忘れられない方の誕生日である今日、
ほろ苦い片想いと、それに付随する鉄ヲタ話を書いて
みました。
PS.
最後に、久代さん、お誕生日おめでとうございます。
どうかいつまでも御健康でお幸せでありますように。
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